カタールってどんな国?地政学をちょっと学んだパパが調べてみた

皆さん、こんにちは!!
日本の大金星で盛り上がっているワールドカップカップ。その開催地のカタールについて、今日は書いてみようと思います。地政学を2冊読んだばんちゃんパパの、興味から書き始めた無謀な記事ですので、この挑戦を日本代表を応援するように、温かい目でお目通しいただけましたら幸いですm(_ _)m

  • カタールのイメージ
  • 地球儀で見てみると
  • オスマン帝国と中東

カタールのイメージ

まずはカタールのイメージ。石油すごそう、砂漠ばっかり、という認識の方が多いのではないでしょうか?私もその1人です!!実際、カタールの国土のほとんどは砂漠。そして、石油、天然ガスの埋蔵量は世界トップクラス。まさにイメージ通りの中東の国ですね。そんなカタール。場所ってどこにあるの??はて??

地球儀で見てみると

こんな場所にあります。とても小さい!!海に突き出したような半島で、隣接する国はサウジアラビアのみ。地政学で言えば、完全にシーパワーの国です。面積は11,427㎢。我らが鹿児島県が9,187㎢ですので、一県分の大きさといった感じ。人口は250万人だそうですが、カタール人としては20%もおらず、大部分が出稼ぎで入国された方で構成されています。今回のスタジアムの建築にも、某国が外貨取得のために労働者を派遣した、というニュースが出てました。もちろん、そんな方ばかりではないと思います(^_^;)

さてさて、地球儀を拡大して見てみましょう。本当にほぼ海に囲まれています。一番意識するのはやはり、隣接している中東の大国サウジアラビアでしょうね。実際、最近までは国交を断絶していました。カタールはどちらかというと、以前からロシアや中国と距離が近い中、サウジアラビアは昔から新米派。といっても中東の情勢は主に石油、ガスを巡って、そんな単純な構図ではなさそうですが(^_^;) 
よくアメリカと対立している対岸のイランから見ると、カタールはクッションのような存在でしょう。ちょうど、ロシアがウクライナのことをNATOとの緩衝地帯として考えていたようにです。そもそもこの中東内のでの対立は、さかのぼっていくとオスマン帝国崩壊後から激しくなってきたとのこと。

皆さん、オスマン帝国ってご存知ですか??僕は知りませんでした!!

オスマン帝国と中東

最盛期には中東だけでなく、ヨーロッパやアフリカ大陸へも進行していた大帝国。現在のトルコがその流れを組んでいます。イスラム教が主教でした。当時の中東エリアは現在と比べると、なんだかんだ落ち着いており、それぞれの地域の民族や文化を認め合ったり、うまく距離感をもってオスマンにより統治されていたそう。しかし、この大帝国も終わりのときを迎えます。統治していた一族のすったもんだなどがあり衰退していたタイミングで第一次世界大戦へ参加し、敗戦国側に。そして、イギリスやフランスなどの連合国から解体されました。中東とかアフリカって、まっすぐな線で国境が引かれてるなぁって思う方もいるかと思います。あの線、本当に定規でひかれたんだそうです。民族、文化や宗教などあまり考慮されず。そこからの派生が現在の様々な対立の大きな原因になっているんだとか。もちろんその後も第二次世界大戦、そしてアメリカと旧ソ連の冷戦により中東での代理戦争、その残火がいまになっても続いているのです。

いかがでしたでしょうか。地政学をちょろーっと学んで、歴史もちょろーっと知ると、とてもおもしろい。オスマン帝国なんて、大昔に世界ふしぎ発見を見てて聞いたことあるような、くらいの感覚。中東、行ってみたくなってきました。ちなみにカタールの首都ドーハはめっちゃ都会です!!行ったことないけど 笑。ご興味ある方はググってみてください。高層ビルが立ち並んでますよ。ワールドカップ、見に行ってみたいな〜♩

それでは皆さん、今日も良い一日を!明日はもっと良い一日を!!

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